闘病ブログ

未来への手紙

入院生活1日目

熱が出た。
38℃を超えているらしい。
私の平熱は35℃台。
風呂なら3℃違えば火傷してしまう。


その朝に私は両親と会社に連絡した。

母は昼には必要な物を持って駆けつけてくれるそうだ。いつもは邪険にしていた、親の愛情が弱っている心によく染みる。
担当している仕事もあり、会社に入院の事実を伝えるのは申し訳ない気持ちになった。
しかも自分自身でも今後の見通しを説明できない。

私は何人かに連絡を取ったあと、いつの間にか眠りに落ちていた。

夢は見ただろうか?
覚えていない。

ほほに温かい感覚を感じる。ぼやけた視界に母の手が映った。

「大変だったね」


私の母は50歳を少し過ぎたぐらいだ。いまは都内で父と2人で暮らしている。

しばらく母と話わ交わし、私は高熱のせいかまた眠ってしまった。

途中で担当の医師がやってきた。

母親と私に説明を始める。

「おそらく痛みの原因は胆石でしょう。ただ検査をして分かったのですが、生まれつき胆管が広がっています。これは手術を必要とする症状です。詳しくは明日また説明をしますので、ご家族揃ってお話しましょう。」

私とおそらく母も突然の診断に戸惑っていた。

母はいくつか医師に質問をしていたが、的外れなことを、という印象で答えている感じがした。

私はベッドに引きこまれる様に力なく、一定のリズムで落ちる点滴を眺めていた。

緊急入院

あのサイレンが近づいてくる。
少しずつ大きくなる音が、自分を助けに来るためにやって来ると思うと不思議な気持ちになる。

私は119の後、少し冷静になった。
上着をかぶり、財布を持ち、靴を履いて玄関で体育座りをして待っていた。

「救急車を呼ばれた本人ですね。ご自身で歩けますか?」

「はい。」

3人の緊急隊員は落ちついており、私を連れて救急車まで歩いた。

初めて入る救急車の中は、見慣れない機器に囲まれ、どんな患者にも対応できるような頼もしさがある。

私は横たわり、緊急隊員に自分の状況を可能な限り伝えた。
また忘れずに持ってきた、紹介状を渡した。

「○○医院への紹介状ね…。ここは救急指定医院ではないけど、電話してみよう」

運転席の隊員が電話を始める。私はなぜか聞きたくない気持ちに襲われ、眼を閉じる。しかしかえって音に集中してしまい、会話が聞こえて来るのだ。

「…紹介状をもって…、はい…、…名前は…、そうですね。…、はい…、はい。分かりました。夜分にすみません。ありがとうございました。」

結果は駄目だった。
私も夜間の救急患者の受け入れ先を見つける事は難しい、という現実は分かっていた。
しかしいざ自分が体験すると、胸が締め付けられる。

緊急隊員はすぐにいくつかの病院の候補を探してこう言った。

「このA病院は消化器系の当直はいないから応急処置になると思います。けどここなら受け入れてもらえそう。ここに向かって良いかな?」
私は応急処置で構わないし、自分に選択肢がないことも理解していた。


「お願いします」

救急車は再びサイレンを鳴らし、走り出した。内側から聞くその音はどこか冷たく、白い天井を見つめながら身体を揺らしていた。

救急車が止まり、私はあおむけに寝たまま運ばれた。

暗い夜空の視界の中に「救急入口」の赤いサインが目に入った。私は自分が重度の病人だと気づかされ、ギュッと拳を握りしめた。

その後の記憶はおぼろげだ。点滴を打たれ、検査をされ、いくつかの書類をその場で書かされた。

入院手続きの書類を書いているとき、日付をみてふと感じた。

12/5。

厄年に終わりを告げる24歳の誕生日まで、あと10日を残した夜の出来事であった。

119

その日も私は会社に向かった。
体重はすでに3キロ落ちている。

異常だ。
胃炎と風邪をこじらせると、こうまでなるものだろうか?
しかしなぜ薬が効かないんだ。

自問しながらも仕事をこなしていった。
本当は早退したかったのだが抜けられない会議があったのだ。

仕事を終わらせてすぐに、病院に向かった。先週行った所にもう一度。

6時半。
ギリギリ駆け込んだ。

そして診察はすぐに始まった。前回とは違う医師だ。

「容体はどうですか?」

「薬を飲んでもまだ痛みます。食後2、3時間たつと、必ず。」

「そうですか…。それはおかしいですね、強い薬ですし。どの辺りが痛みますか?」

「お腹というより、右あばらの下、この辺りですね。響くように痛みます。」

私はこの時に初めて、自分の痛みを言葉にして伝えられた。
前回上手く伝えられなかった事を、非常に悔やんでいたのだ。

「このみぞおちの辺りですか?うん…、ちょっとエコーをとってみましょう」

医師は私の腹まわりに何かを塗って器具を当てた。
後で分かるのだがエコーというのは超音波で、内臓の様子が分かる器具らしい。

医師は出来あがったレントゲンの様な写真を見ながら、こう言った。

「胆石の疑いがあります。」

胆石?

石?尿管結石みたいなもんかな。痛そうで嫌だな!

胆?どこにあって何をする内臓だっけ?あぁ生物の勉強を真面目に受ければ良かった!

「どちらにしろ、紹介状を書きますね。こちらの病院を伺ってください。処方せんも出しますね。」

私は紹介状と薬を受け取り家に帰った。
明日の朝にその病院に行こう。会社にも朝は休むと伝えてある。もう心配ない。

私は油断した。
一番の失敗はこの夜かもしれない。


ゼリーの生活に我慢しきれず、私は卵がゆを食べてしまった。



痛みは二時間後。
10時から始まった。もらった胆石の薬も、痛み止めの薬も効かなかった。


激痛が走る。

胃液が出るまで吐く。

しかし痛みは止まらない。

苦しみながら、どうにか痛みを和らげる方法をネットで検索する。

風呂に入って血液の流れを良くしようとし、湿布を張り暖め、蜂蜜をとり引っかかっているだろう胆石を流そうとする。

しかし。

痛みは止まらない。
痛い。辛い。苦しい。助けて。痛い。嫌だ。ごめんなさい。痛い。死ぬのかな。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

12/4の25:00。
痛み出して3時間。
私は生まれて初めて救急車を呼んだ。

入院前日まで

腹痛があった次の日もいつも通り出社した。

仕事は忙しく、体調も問題ない様だ。
昼に食べたトンカツも少し胃がもたれる程度だ。

問題ない。
昨夜の事は食べ物が悪かったんだ。
まぁ風邪かもしれないな。
笑い話がひとつできて良かったよ。

そう考え、普通の生活に戻った。


土曜日に近くの内科の病院を訪れ、診察を受けに行った。

「どうしました?」
「こないだ、夕食後に腹の上あたりが突然痛くなったんです。」

触診と話を聞き、医師はこう判断した。

「胃炎かもしれませんね、お薬出しておきますので様子をみましょう」


そうか…、胃炎か。
食生活の偏り、過労、仕事のストレス、睡眠不足。

なんだ全部当てはまるじゃないか!

胃炎か、うん、風邪と併発して痛みがひどいのかもな。

薬もあるし、安静にしておけば治るだろ!

痛みの原因に納得した私は、土日の休日には卵がゆを食べ、安静に過ごした。


月曜日になり、いつも通り会社が始まる。

しかしその日はいつも通りではなかった。

昼食後、あの痛みが襲ってきたのだ。

とてもではないが、絶えられない。


同僚に一言声をかけ、トイレに駆け込んだ。

ネクタイをとり、ワイシャツの首元のボタンを開ける。
そしてまた手をのど奥に思い切り突っ込んだ。


…どうして?
薬も飲んでるはずなのに。なぜ痛むの?

やるせない思いとともに、一時間ばかりトイレからは出られなかった。


席に戻ると同僚が心配そうに声をかける。

私は笑顔で答える余裕もなく、ただうなづいた。


この日から私の食事は、飲むタイプのゼリーだけになった。

入院の一週間前

いま思えばもっと早く気づいていれば、と後悔する事が多すぎた。

私は23歳の会社員♂だ。毎日の仕事に追われながらも充実した日々を送っていた。

しかし入院の一週間前から身体に突然変化が訪れ始めた。

仕事帰りの外食中にふと「腹のあたり」が痛む。

何だろう?
食当たり?食べすぎ?カゼかな?いやもしかしたらインフルエンザ?

アタマの中をいくつか候補がよぎるが、原因は分からない。

痛みは少しずつ強くなり、確かな鈍痛を自覚しはじめた。

私は痛みと不安な気持ちを抱え、家まで歩きはじめた。

一人暮らしの自宅に戻ると、スーツも脱がずにベッドに転がりこむ。

「痛い!痛い!痛い!痛いっ!」


脈打つ様に一定の感覚で痛みが響く。

このまま寝てれば痛みは収まる…だろうか。

そう自分に信じ込ませて布団にくるまる。


…。

痛い。

腹痛、ではないかもしれない。もっと上?

今までに体験した事のない痛み。奥側から肉ごとえぐられているような痛み。

どうしたら良いか分からず、母親に電話をかける。しかし出ない。
父親にもかけるが、こちらも出ない。

私は携帯電話を手にとり、「119」と打った。もちろん救急車を呼ぶのは初めてだ。

しかし、なかなか通話ボタンを押せない。

「もう少ししたら痛みも収まらないか?」
「ここは会社の寮だ、噂されてしまう…」

迷いがあと一歩を踏み出せない。


痛みにもがきながら呆然としている中、母親から電話がかかってきた。

「もしもし、どうしたの?」

「っかあっさん…、腹がさ痛すぎて我慢できない、んだよ。どうしたらいいかな?」

自分が声も出ない状況だと気づき、内心焦りながらも話を続けた。

「なに!お腹痛いの!?食中毒かもよ、救急車呼びなさい。それか友達を!」

「救急車は…、もしかしたら治るかもしれな、いし」

「あなたが呼べないなら私が呼ぶわよ!住所言って!」

「…、っいや、自分で呼ぶよ。またれ…んらくする…から」

私は母との電話を切り、少しの葛藤の後、ついに119と通話ボタンを押した。


「っあ、もし…もし」

「消防ですかー?救急ですか?」

「あのっ…、お腹が痛く…て。どうしたら良いか…分からなくて。相談…したいのですが」

「救急車を呼ぶ時に電話して下さい。どちらにしろ病院に行った方が良いと思いますよ。では。」

ツーツー

必死の思いでかけた電話は30秒ちょうどで切れていた。

怒りのような悲しみの感情を飲み込み、同じ寮に住む友人に電話をかけた。

「もしもし、どしたー?」

「た、頼みがある…、んだ。今すぐ俺の部屋にきてくれないか?はらが、腹がさ痛くて救急車を呼ぼうと、…思ってるんだ」

「分かった。すぐ行く。」

友人はすぐにきて、私の状況を確かめた。

そして直ぐに全て吐くように、と私に言った。

私はトイレまで這いずり、手をのど奥まで可能な限り突っ込み、吐き続けた。


胃液が出るまで吐き続けた後、ようやく痛みは収まったのだ。

友人に感謝の言葉を述べ、ようやく安心して布団についた。


しかし一時間もしないうちに、また痛み始めたのだった。

何だ?俺の身体はどうなってるんだ?

そう思いながらも、私はトイレで何も出せずに突っ伏していた。

そんな事をその夜は2、3回繰り返した。


そしていつの間にか朝を迎えていた。

なぜブログを始めたか?

2008年12月4日。

私は人生初の救急車に運ばれ、人生初の入院生活を今も続けています。

あまりに突然で、自分の事なのにどこか取り残されたように状況は進行していくのです。

このブログを書くことで自分自身でまず整理したい。

そして全てが無事に終わったら、の話ですが。

同じように不安な気持ちを病院で過ごしてる人の少しでも助けになるかと思い、ブログを始めようと決心しました。